カラダの声とアタマの声

日々のこと

忙しさにかまけると忘れがちで、それが続くとなってしまうこと。無感覚。

すーーーっかりと頭(たぶん脳とも違う)グセにどっぷりとはまっておりました。

ここにきてやっと、ひとつひとつに「どうしたい?」ってカラダに聞いてみて、動作にもちょっと気を使って(物をばーん!と置いたりしないで、ちょっと身体の感覚を意識してみたり)。気がつくと、額あたりにまた意識がグッと戻っちゃったりしていて大変だけれど、この当たり前の動きや日常を感じるのが、まずは自分の望みを見つけ出す方法なのかもしれないと実行しています。

でも、当たり前すぎて、飽きちゃったり、めんどくさい~って思ったりもするんです。そうなんですけれど、立ち戻ってみる。

最近、生理痛がラクになってきまして。

なぜだろう?と思ってみると(年齢か?という突っ込みはさておき)、私は絶対にこうするの!って、これまで思ってきたことが実は大きなストレスとなっていて、それが手から離れてしまったところ、ラクになったようなのです。

そう、欲しいと思っていた物事が実は自分を痛めつけていた事実。おそるべし。

カラダはもっと前から分かっていたと思うのです。ねえ、気づいてよって。でも、気がつかないように、それを自覚しないように、私は私自身を無感覚にしていたのでしょう。おそるべし。

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